各国の人々との交流を通じて肌で感じたことは、人間の善性でした。そのことを、このブログを通じてお伝えしたいと願っています。

チャップスイとフォーチュンクッキー

坊ちゃん、嬢ちゃん、苦学生……

パシフィック大学には多くのお金持ち家庭の子女も在籍していた。ホノルルのワイキキにあるレストランTop of Waikikiオーナーの娘、ダイヤモンドヘッド近辺の高級住宅街カハラに住居がある中華料理店経営者の息子、台湾の富裕層の娘……そんなお坊ちゃま、お嬢ちゃまたちが同じクラスで授業を受けていた。

一方の私は絵に描いたような苦学生だった。真面目に勉強したおかげで奨学金の他に、学資の一部を米政府が負担する助成金を得ることができたし、やはり米政府からの大学生向け低金利融資も受けられた(奨学金と助成金は返済不要)。けれど、私立大学なのでそれでも足りない。大学の食堂で皿洗いをして稼いだ。

 

青春の味、思い出の味

パシフィック大学は2学期制。1学期が9月からで、12月の4週目から1月の1週目までの2週間は冬休みになる。2学期は5月の半ばまで授業があるが、3月末から2週間はイースター休暇だ。

1年目の冬休み。ハワイからの学生のほとんどは帰省したが、飛行機代がなかった私はポートランドにある安いYMCAで過ごした。休みの間は大学の寄宿舎も食堂も閉まってしまうからだ。(2年目の冬休みはヒロ高校出身の先輩と、オレゴンとカリフォルニアの州境に近いメドフォード市に暮らす彼の姉宅に居候させていただいた。)

食事は1日1食に限定して、ポートランドにあるチャイナタウンで1ドルの中華料理「チャップスイ」を毎晩食べた。1ドルでも、多めの野菜と少なめの牛肉が大盛りのご飯と一緒に出てきたので満足できる量だった。

このチャップスイの美味しさは今でも忘れられない。社会人になってアジア各地へ出張した際、中華料理店へ出向くたびにチャップスイを注文したが、ポートランドで食べた味にはついぞ出会うことが叶わず残念な思いをしている。

チャイナタウンの食堂では、食後に出てくるフォーチュンクッキーを割って中に入っている占いを読んで楽しんだ。このフォーチュンクッキー、アメリカの中華料理店では食後必ず出てくるが、1886年に日本からサンフランシスコに渡った萩原眞という人が、1907~1914年頃に日本の「おみくじ」をヒントにして最初に作ったという説があることを知った。彼はサンフランシスコに複数の料理店を出した他、ゴールデンゲートパークにある日本茶園を第2次大戦前まで管理していた。日本茶園の前にある道は「萩原通り」と名づけられている。

日本ではAKB48が歌う『恋するフォーチュンクッキー』の動画がYouTubeで1億回以上再生され、「フォーチュンクッキー」という言葉が広まったのは記憶に新しいところだ。

 

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