各国の人々との交流を通じて肌で感じたことは、人間の善性でした。そのことを、このブログを通じてお伝えしたいと願っています。

ベトナム戦争下での進路選択

米国公認会計士を目指す

ハワイ大学でのサマースクールでは前回記したようにモイリイリ本願寺の寄宿舎に宿泊したが、3年の新学期からは大学の寄宿舎で生活するようになった。ルームメイトには高校時代の同級生。仲が良かった旧友で安心した。隣室には慶応大学の卒業生とカナダ人の白人。2人とも経営学修士(MBA)の勉強をしていた。2つの部屋でトイレとシャワーを共同で使う寄宿舎なので、彼らとはよく話をした。

あるとき私が数学の教科書を持っていたら、慶大ボーイが「見せて」と言ってページをめくりながら大笑い。「何故笑うの?」と聞いたら「中学で習った!」と言われショックを覚えたものだ。当時の日本の数学は、それほど進んでいたのだろうか。

会計学を専攻していた大学3年生ともなれば、将来の進路について考えざるを得なかった。結果、まずは米国公認会計士になることが先決と考え、その資格取得を目指すことにした。ところがここに、私の進路を左右しかねない大きな問題が横たわっていた。

 

徴兵の可能性を睨みながら……

ベトナム戦争真っ直中の当時のアメリカ政府は、1969年12月1日、徴兵呼び出しの順番を決めるためにDraft Lotteryと呼ばれる抽選を実施した。1944年1月1日~1950年12月31日までに生まれた男性に対して、1970年のベトナム戦争における徴兵呼び出しの順番を決定するためのものだ。

誕生日を基にした1~366番の番号をアメリカ政府がランダムに選んだ結果、私の誕生日の3月20日は239番となった。ある新聞記事では、1~200番までの卒業生は入隊させられるので自分から陸海空軍のいずれか、または州兵に志願するよう勧めていた。志願するとベトナムの戦地へ行く可能性は低くなるが、志願しなければ即ベトナム行きになるという。

201~250番までは50%の確率で入隊となるので、就職するか軍に志願するかは自分自身で考えるようにとも、251~366番までは入隊の可能性はほぼ皆無なので就職活動をしても問題ないとも、記事には書かれてあった。

239番だった私は仕事を探す方を選んだ。当時の若者同様、ベトナム戦争反対派だったので戦争に加担したくなかったが、一方で大学の費用の一部を政府の助成金Grants in Aidで助けてもらっていた手前、入隊となったらアメリカ市民として素直に従うつもりでいた。

 

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