各国の人々との交流を通じて肌で感じたことは、人間の善性でした。そのことを、このブログを通じてお伝えしたいと願っています。

空気の缶詰を作る

パイナップルのバイト再び

パシフィック大学2年目の終業式を終えた私は、3年目からハワイ大学へ転校した。新学期が始まるまでの間、オアフ島ホノルル市内にあるハワイ大学のサマースクールで世界史の授業を受け、空いた時間は下町にあるドール社のパイナップル缶詰工場でアルバイトをした。高校時代にモロカイ島のパイナップル農園でのアルバイトを経験して、そのキツさに「二度とやるまい」と心に誓ったはずなのに、大学1年終了時にラナイ島のパイナップル畑で1カ月間のアルバイトをした私。様々な事情もあるが、パイナップルの仕事とはよほど縁があるらしい。

オアフ島のパイナップル缶詰工場での仕事は、パイナップルジュースが入ったタンクが空になる前に次のタンクへと切り替える単純労働。タンクから缶の中へジュースを入れて蓋をする作業は自動化されていたのだが、タンクの切り換えは人力でまかなわれていた。大きなタンクが空になるまでには時間がかかる。漫然と待っているのは時間がもったいないので、サマースクールで学んでいた世界史の教科書を読みながら仕事をした。

ところがある日、勉強に集中(?)するあまりタンクの切り換えを忘れてしまうという失態をやらかしてしまう。今ならタンクが空になると軽くなったことを重量センサーなりが察知してストップがかかることくらいは当たり前のようにやってのけているのだろうが、1960年代末期当時の機械はそこまで賢くない。中身が充填されないままジュースの缶に蓋がされてしまい、「空気の缶詰」の一丁上がり。そのままベルトコンベアで流されていく。空気の缶詰は軽いので、少しの振動でコンベアから外れて床に落ち「カラン、カラン、カラン」と大音響を立てる。工場内にその音が響き渡り、みんなが驚く。ようやくミスを悟り、大急ぎでタンクを切り替える私……。

白人の現場監督が慌てて走り寄って来る。叱られてクビにされるかと覚悟したが、「タンクが空になるまでの時間は決まっているんだから、今後は気をつけて勉強するように」と温かい言葉をかけてくれた。しかも他の学生バイトたちには「蓋をされた空の缶は貯金箱になるから、欲しい人は持って帰っていいよ」とのお言葉。みんな喜んで持ち帰っていった。深く反省して現場監督に謝り、その後は運よく同じ失敗を繰り返すことはなかったけれど、大失態だった。

 

父よりも稼いでしまう

冒頭で「パイナップルの仕事とはよほど縁があるらしい」と書いたが、『チャップスイとフォーチュンクッキー』の回で述べたように米本土では大学の食堂で皿洗いをするなどアルバイトは他にも経験している。

ハワイ大学でも3年次に会計学を専攻したことで、この学問を肌身で理解するために大学の経理部でアルバイトの仕事をいただいた。冬休みや夏休みは大学が紹介してくれたハワイ銀行のインターンとして働いた。その月給は500ドル。父にその話をしたら「お父さんの月給410ドルよりも高い、すごい!」と喜んでくれたのだが、父より高い給料をもらうことに対して、なんだか「すまない」という気持ちになったものだ。

 

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